石上麻呂是什么意思(中文簡介)
石上 麻呂(いそのかみ の まろ)生于舒明天皇12年(640年),卒于靈龜3年3月3日(717年4月22日),日本飛鳥時代至奈良時代的貴族,麻呂也寫作麿,最初姓物部連,后來變為物部朝臣,又變為石上朝臣,物部宇麻呂之子,官至正二位左大臣,贈從一位。
石上麻呂是什么意思(日文簡介)
640-717 飛鳥(あすか)-奈良時代の公卿(くぎょう)。
舒明(じょめい)天皇12年生まれ。物部宇麻乃(もののべの-うまの)の子。壬申(じんしん)の亂で大友皇子に味方し,皇子の最期までしたがう。天武天皇5年遣新羅(しらぎ)大使。13年ごろ氏を石上にかえる。持統天皇4年の天皇即位式に大盾(たて)をたてた。大納言,右大臣をへて,和銅元年正二位,左大臣。霊亀(れいき)3年3月3日死去。78歳。従一位を追贈された。
【格言など】吾妹子(わぎもこ)をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ國遠みかも(「萬葉集」)
舒明(じょめい)天皇12年生まれ。物部宇麻乃(もののべの-うまの)の子。壬申(じんしん)の亂で大友皇子に味方し,皇子の最期までしたがう。天武天皇5年遣新羅(しらぎ)大使。13年ごろ氏を石上にかえる。持統天皇4年の天皇即位式に大盾(たて)をたてた。大納言,右大臣をへて,和銅元年正二位,左大臣。霊亀(れいき)3年3月3日死去。78歳。従一位を追贈された。
【格言など】吾妹子(わぎもこ)をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ國遠みかも(「萬葉集」)
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