柳宗理是什么意思(中文簡介)
柳宗理,日本工業設計師。1936-1940年在東京藝術大學學習,1942年起,任勒·柯布西耶設計事務所派來日本參與改進產品設計工作的夏洛特·佩利安的助手。他將民間藝術的手作溫暖融入到冰冷的工業設計中,是較早獲得世界認可的日本設計師。
柳宗理是什么意思(日文簡介)
1915-2011 昭和-平成時代のインダストリアルデザイナー。
大正4年6月29日生まれ。柳宗悅(むねよし)?柳兼子(かねこ)の長男。柳宗玄(むねもと),宗民(むねたみ)(園蕓研究家)の兄。昭和17年坂倉準三建築事務所にはいり,フランスのデザイナー,ペリアンの助手をつとめる。27年の日本インダストリアルデザイナー協會の創立,35年東京での世界デザイン會議の開催にかかわる。53年日本民蕓館館長。平成14年文化功労者。平成23年12月25日死去。96歳。東京出身。東京美術學校(現東京蕓大)卒。代表作に椅子「バタフライスツール」,札幌冬季五輪聖火臺など。
大正4年6月29日生まれ。柳宗悅(むねよし)?柳兼子(かねこ)の長男。柳宗玄(むねもと),宗民(むねたみ)(園蕓研究家)の兄。昭和17年坂倉準三建築事務所にはいり,フランスのデザイナー,ペリアンの助手をつとめる。27年の日本インダストリアルデザイナー協會の創立,35年東京での世界デザイン會議の開催にかかわる。53年日本民蕓館館長。平成14年文化功労者。平成23年12月25日死去。96歳。東京出身。東京美術學校(現東京蕓大)卒。代表作に椅子「バタフライスツール」,札幌冬季五輪聖火臺など。
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