西村茂樹是什么意思(中文簡介)
西村茂樹,明治初的啟蒙學(xué)者、道德倫理學(xué)者,通曉儒學(xué)及蘭學(xué),1854年后的15年間,參與佐倉藩的藩政。1869年任佐倉藩大參事。1870年辭去官職,投身學(xué)術(shù)界和教育界。曾參加明六社,于1876(明治9)年設(shè)立東京修身學(xué)社,于1887(明治20)年擴大日本弘道會,出版《日本道德論》。其倡導(dǎo)國民道德,是國粹主義的先驅(qū)者。
西村茂樹是什么意思(日文簡介)
1828-1902 江戸後期-明治時代の武士,道徳思想家。
文政11年3月13日生まれ。西村勝三の兄。下総(しもうさ)佐倉藩(千葉県)家老。儒學(xué)を安井息軒(そっけん),洋學(xué)を佐久間象山(しょうざん)にまなぶ。明治6年森有禮(ありのり)らと明六社の創(chuàng)立に參加,9年には東京修身學(xué)社(のちの日本弘道會)を創(chuàng)設(shè),道徳思想の高揚につとめた。宮中顧問官,華族女學(xué)校長を兼任。明治35年8月18日死去。75歳。名ははじめ芳在,鼎。號は泊翁など。著作に「日本道徳論」など。
【格言など】およそ學(xué)問に朋友を得るより楽しきはなく,またその道の弘まるも朋友の力をもって第一とす(「日本道徳論」)
文政11年3月13日生まれ。西村勝三の兄。下総(しもうさ)佐倉藩(千葉県)家老。儒學(xué)を安井息軒(そっけん),洋學(xué)を佐久間象山(しょうざん)にまなぶ。明治6年森有禮(ありのり)らと明六社の創(chuàng)立に參加,9年には東京修身學(xué)社(のちの日本弘道會)を創(chuàng)設(shè),道徳思想の高揚につとめた。宮中顧問官,華族女學(xué)校長を兼任。明治35年8月18日死去。75歳。名ははじめ芳在,鼎。號は泊翁など。著作に「日本道徳論」など。
【格言など】およそ學(xué)問に朋友を得るより楽しきはなく,またその道の弘まるも朋友の力をもって第一とす(「日本道徳論」)
免責聲明:本站所提供的內(nèi)容來源于網(wǎng)絡(luò)搜集,由詞典網(wǎng)小編整理,僅供個人備考、交流學(xué)習使用,不涉及商業(yè)盈利目的。如涉及版權(quán)問題,請聯(lián)系本站管理員予以更改或刪除。