吉備真備是什么意思(中文簡介)
吉備真備,原名下道真備,生于695年(持統天皇9年),卒于775年11月3日(寶龜6年10月2日),出生于備中國下道郡(今岡山縣倉敷市真備町)。吉備真備是日本奈良時代的學者、政治家(公卿),曾兩次出任遣唐使,官至正二位右大臣,明治時期被追贈為勛二等,著有《私教類聚》50卷。吉備真備的父親是右衛士少尉下道國勝,母親是楊貴氏(存疑)。下道氏是吉備地區有力的地方豪族吉備氏一族。
吉備真備是什么意思(日文簡介)
695-775 奈良時代の學者,公卿(くぎょう)。
持統天皇9年生まれ。吉備の豪族下道圀勝(しもつみちの-くにかつ)の子。遣唐留學生として17年間儒學,兵學などをまなぶ。帰國後,僧玄昉(げんぼう)とともに,左大臣橘諸兄(たちばなの-もろえ)を補佐。吉備朝臣の氏姓をさずかるが,藤原仲麻呂に左遷される。のち仲麻呂の亂鎮定に功をたて,大納言をへて正二位,右大臣。吉備大臣と稱される?!竸h定(さんてい)律令」を編集。寶亀(ほうき)6年10月2日死去。81歳。
【格言など】力任(た)えずして強(し)うる者は廃し,心逮(およ)ばずして極むる者は必ず惛(くら)し(「乞骸骨表」)
持統天皇9年生まれ。吉備の豪族下道圀勝(しもつみちの-くにかつ)の子。遣唐留學生として17年間儒學,兵學などをまなぶ。帰國後,僧玄昉(げんぼう)とともに,左大臣橘諸兄(たちばなの-もろえ)を補佐。吉備朝臣の氏姓をさずかるが,藤原仲麻呂に左遷される。のち仲麻呂の亂鎮定に功をたて,大納言をへて正二位,右大臣。吉備大臣と稱される?!竸h定(さんてい)律令」を編集。寶亀(ほうき)6年10月2日死去。81歳。
【格言など】力任(た)えずして強(し)うる者は廃し,心逮(およ)ばずして極むる者は必ず惛(くら)し(「乞骸骨表」)
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