藤原定方是什么意思(中文簡介)
藤原定方(873-932.9.11),日本平安時代前期中期貴族、歌人。內大臣藤原高藤次子。醍醐天皇外祖父。官位從二位右大臣。贈從一位。號三條右大臣。
藤原定方是什么意思(日文簡介)
873-932 平安時代中期の公卿(くぎょう),歌人。
貞観(じょうがん)15年生まれ。藤原高藤(たかふじ)の次男。母は宮道(みやじの)列子。延喜(えんぎ)9年(909)參議となり,のち右大臣,従二位にすすむ。娘婿の藤原兼輔(かねすけ)とともに,宇多?醍醐(だいご)朝の宮廷歌壇をささえた。「古今和歌集」以下の勅撰集に18首がはいる。承平(じょうへい)2年8月4日死去。60歳。贈従一位。家集に「三條右大臣集」。
【格言など】名にし負はば逢坂(あふさか)山のさねかづら人に知られでくるよしもがな(「小倉百人一首」)
貞観(じょうがん)15年生まれ。藤原高藤(たかふじ)の次男。母は宮道(みやじの)列子。延喜(えんぎ)9年(909)參議となり,のち右大臣,従二位にすすむ。娘婿の藤原兼輔(かねすけ)とともに,宇多?醍醐(だいご)朝の宮廷歌壇をささえた。「古今和歌集」以下の勅撰集に18首がはいる。承平(じょうへい)2年8月4日死去。60歳。贈従一位。家集に「三條右大臣集」。
【格言など】名にし負はば逢坂(あふさか)山のさねかづら人に知られでくるよしもがな(「小倉百人一首」)
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