和泉式部是什么意思(中文簡介)
和泉式部(987~1048年),日本平安時期的女詩人。她不僅是天才的詩人,而且是個熱情奔放的絕代佳人。她的一生是頗多戀愛糾葛并為之所苦的一生。她的詩歌直抒胸懷,構思奇特,充滿了新穎別致的魅力。她位列中古三十六歌仙。她與《枕草子》作者清少納言、《源氏物語》作者紫式部并稱平安時代的“王朝文學三才媛”。
和泉式部是什么意思(日文簡介)
?-? 平安時代中期の歌人。
大江雅致(まさむね)の娘。母は平保衡(やすひら)の娘。長徳2年(996)和泉守橘道貞(たちばなの-みちさだ)と結婚,小式部內侍(こしきぶのないし)を生む。夫と別居後,為尊(ためたか)親王,敦道(あつみち)親王の求愛をうけたがともに死別。のち中宮(ちゅうぐう)彰子(上東門院)につかえ,藤原保昌(やすまさ)と再婚した。中古三十六歌仙のひとりで,「拾遺和歌集」などの勅撰集に多數の歌がのる。「和泉式部日記」「和泉式部集」がある。萬壽2年(1025)娘の小式部內侍に先立たれている。
【格言など】あらざらむこの世のほかの思ひ出に今一度(ひとたび)の逢ふこともがな(「小倉百人一首」)
大江雅致(まさむね)の娘。母は平保衡(やすひら)の娘。長徳2年(996)和泉守橘道貞(たちばなの-みちさだ)と結婚,小式部內侍(こしきぶのないし)を生む。夫と別居後,為尊(ためたか)親王,敦道(あつみち)親王の求愛をうけたがともに死別。のち中宮(ちゅうぐう)彰子(上東門院)につかえ,藤原保昌(やすまさ)と再婚した。中古三十六歌仙のひとりで,「拾遺和歌集」などの勅撰集に多數の歌がのる。「和泉式部日記」「和泉式部集」がある。萬壽2年(1025)娘の小式部內侍に先立たれている。
【格言など】あらざらむこの世のほかの思ひ出に今一度(ひとたび)の逢ふこともがな(「小倉百人一首」)
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