最澄是什么意思(中文簡介)
最澄,俗姓三津首,幼名廣野,日本近江國滋賀郡人。少從近江國師行表高僧出家,后赴南部,在鑒真生前弘法的東大寺受具足戒,并學習鑒真和思托帶來的天臺宗經籍。
最澄是什么意思(日文簡介)
767-822 平安時代前期の僧。
神護景雲(じんごけいうん)元年8月18日生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)の國分寺で行表(ぎょうひょう)に師事。19歳のときから12年間比叡(ひえい)山で修行?;肝?かんむ)天皇の信任を得,延暦(えんりゃく)23年空海(くうかい)らと唐(とう)(中國)にわたり,天臺?密教?禪?戒をまなぶ。25年日本天臺宗をひらく。晩年徳一との教理論爭をおこなう一方,大乗戒壇の設立につくした。弘仁(こうにん)13年6月4日死去。56歳。近江出身。俗名は三津広野(みつの-ひろの)。通稱は叡山大師,根本大師。諡號(しごう)は伝教大師。著作に「山家學生式(さんげがくしょうしき)」「顕戒論」「守護國界章」など。
【格言など】一隅を照らすもの此れ即ち國寶なり(「山家學生式」)
神護景雲(じんごけいうん)元年8月18日生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)の國分寺で行表(ぎょうひょう)に師事。19歳のときから12年間比叡(ひえい)山で修行?;肝?かんむ)天皇の信任を得,延暦(えんりゃく)23年空海(くうかい)らと唐(とう)(中國)にわたり,天臺?密教?禪?戒をまなぶ。25年日本天臺宗をひらく。晩年徳一との教理論爭をおこなう一方,大乗戒壇の設立につくした。弘仁(こうにん)13年6月4日死去。56歳。近江出身。俗名は三津広野(みつの-ひろの)。通稱は叡山大師,根本大師。諡號(しごう)は伝教大師。著作に「山家學生式(さんげがくしょうしき)」「顕戒論」「守護國界章」など。
【格言など】一隅を照らすもの此れ即ち國寶なり(「山家學生式」)
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